丸善で「檸檬」をもらいました
こんばんは、うんちょすです。
先日新装開店した「京都BAL」。
いま2000円以上買うと、「檸檬」と「読書ノヲト」が一緒になった小冊子をもらえます。もらえるらしいです。
らしい、というのは私が自分で行ったのではなく、人から聞いたからです。
そして、その人からそれをもらいました。
なのでまだ自分では行ってないんですが、ぜひぜひ行ってみたいですね。
京都の本屋さんといえば、色々有名なお店がありますが、マルイに入っているふたば書房さんが好きです。
「檸檬」、高校生の時現代文でやったなあ、と思い、読み返してみました。
それで当時抱いた感想のことを思い出しました。
梶井基次郎は肺尖カタル(結核)を患っている、と本文にもあったし、何やら鬱屈した感情を抱いて京都をぶらぶらしている。なんとなく物憂げで、線の細い文学青年みたいなのを勝手にイメージしておりました。
それに結核なんて、(実際はしんどいのでしょうが)ロマンチックじゃないですか?「椿姫」のマルグリット・ゴーチエだって結核で死んでしまいます。「風と木の詩」でもセルジュのお父さんのアスランが結核で死んでましたし、薄幸の美形はだいたい結核で死ぬんです(暴言)。
具体的に言うと、芥川龍之介とか中原中也みたいなのを想像してました。
なので、著者の写真を見たときはガッカリしたものです。しょうもない理由で、本当にごめんなさい。
そういえば、当時は「檸檬を爆弾に見立てる」のがクラス中でウケてやたら流行っていたような気もします。芥川龍之介の「羅生門」に出てくる死体の髪の毛抜くババアも流行ってました。
もっと遡ると、中学生のときに習った魯迅の「故郷」に出てくるヤンおばさんも流行ってました。「コンパスのような足」という強烈な字面が中学生のハートを掴んだのでしょう。「故郷」自体は今読むと、やりきれない思いで「ああ・・・」ってなってしまいますが。
学校で習ったお話って結構覚えているものですね。中学生(かな?)でやった「春でぇむん」の朗読CDがやたらテンション低かったことを不意に思い出しました。
論説文は全然覚えていませんが・・・。
今読むとまた違う感想が出てきて面白い反面、年取ったなあ・・と感じます。
習った中では、ベタですが「山月記」が一番好きです。最近文庫を買ったので、また読もう。
中島敦の話って、読むとなぜか頭良くなったような錯覚に陥るんですよね。まあ錯覚なんですけど。